東京地方裁判所 昭和32年(レ)387号・昭32年(レ)393号 判決
以下は、判例タイムズに掲載された記事をそのまま収録しています。オリジナルの判決文ではありません。
〔事実と判断〕昭和三二年(レ)第三九三号事件について、控訴人渡辺鶴之助は、本件三戸建居宅一棟のうち向つて左側の一戸九坪を被控訴人沖田に対し、期間の定めなく、賃料は毎月末払いの約束で賃貸していた。そして昭和二九年一二月当時の約定賃料が月額一、三〇〇円となつていたが(統制賃料額は七一五円)、控訴人渡辺は昭和三〇年五月二〇日着の内容証明郵便で、昭和三〇年一月一日から同年四月三〇日までの賃料を三日内に支払われたく、支払わないときは賃貸借を解除する旨の催告および条件付契約解除の意思表示をし、これによつて本件賃貸借は解除されたとして、被控訴人沖田に対し家屋の明渡を求めた。この意思表示による解除の効果について、判決は、被控訴人沖田の主張に従つて、順次以下のような事実を認定した。(1)被控訴人沖田は昭和三〇年二月七日同年一月分の賃料弁済のため統制賃料額たる七一五円を供託し、以後同年四月分までの統制賃料を毎月供託したが、これら供託については事前に弁済の提供があり、または控訴人渡辺が受領を拒絶することが予め明確であつたことを認めることができない。(2)被控訴人沖田の代理人大塚宮明が昭和三〇年五月二三日に控訴人の代理人今川弁護士に対して、催告による賃料弁済のため同年一月から四月までの右賃料の供託書を提供したことはあるが、この供託書の提供については、「供託書の交付を受けたものが、供託書上に供託金の還付請求権者とされている者であれば、所定の手続にしたがつて還付請求をすることによつて、供託金額と同額の現金を確実に入手することはできるであろう。しかし、供託書には金銭支払の手段として一般的に通用するという性格、すなわち流通性は全くないといつてよく、また還付請求をして現金を入手する手続についても多少の煩わしさがある。このように流通性が全くなく、かつ現金に換える手続が簡易といえないものの提供は、金銭債務の本旨に従つた提供ということはできない。」したがつて右供託書の提供によつては賃料債務の履行遅滞は解消していない。(3)右供託書の提供を受けた今川弁護士は、その受領を拒絶し、延滞賃料全額を一括して現金で支払うことを求めるとともに、前記催告期間を延長して、一週間の猶予を与えた。(4)被控訴人沖田は昭和二四年頃から本件家屋を賃借しているが、昭和二九年一二月末に控訴人渡辺が月額一、三〇〇円の約定賃料を月額一、七〇〇円に値上げすることを求めたので紛争が起きたのであり、それまでは被控訴人沖田が異議なく統制賃料の約二倍の約定賃料を払つていた。(5)前記のように供託書の受領を拒絶された大塚は、当時賃料を供託していた宇津、木野、長岡ら数名の供託金も取戻したうえ一括して現金で支払おうと考え、その取戻しをしようとしたところ、木野うめの供託金取戻し手続に不備の点があつたため取戻しが遅れているうちに、昭和三〇年五月三〇日を経過してしまつた。(6)また大塚は、被控訴人沖田の昭昭二九年一二月から昭和三〇年五月までの統制賃料月額七一五円による賃料四、二九〇円を同年六月六日発の書留郵便で送金したが、受領を拒絶されて返送された。
判決は、以上の認定事実に基いて、本件解除権の行使は権利の濫用であるという被控訴人沖田の抗弁を採用した。その判断は次のとおり。
「右に認定した事実によると、被控訴人沖田は、昭和二十九年十二月までにすでに五年余にわたつて控訴人渡辺から前記の家屋を賃借し、その間賃借人として特段不信な行為はなく、昭和三十年一月に控訴人渡辺との間に紛争が発生した後も、賃借人としての義務を履行しようとする意思は充分もつていたということができる。そして、被控訴人沖田が昭和三十年一月から同年四月までの賃料の支払について催告期間を徒過したのが、前記認定のような事情によるものであり、催告期間経過後ではあるが、間もなく被控訴人沖田の代理人大塚から控訴人渡辺および今川弁護士に対して、それぞれ賃料弁済のための送金がされたことを考えると、右の催告期間を徒過したことをもつて、被控訴人沖田が賃借人としての義務を誠実に履行しようとする意欲を欠いていたとすることは、いささか酷である。もし大塚又は被控訴人沖田がもう少し法律的に周倒であつたら、同人らはその意思を正確に実行に移し、前記一週間内に債務を完全に履行することができたものと思われる。これに対して控訴人渡辺は、統制賃料額をこえているので、法律上は支払を求めることができない昭和二十九年十二月当時の約定賃料をさらに値上げすることを求めて、みずから被控訴人沖田との間に紛争をひき起し、被控訴人沖田の代理人大塚から現実の提供というに近い履行の提供をされて(昭和三十年五月二十三日のことはそういえる)同被控訴人に債務完全履行の意思があることを知りながら、大塚らが完全な提供をしようとして俗にいうもたもたしている間に、受領拒絶の意思を明らかにして解除の効力を主張しているのである。このような当事者双方の事情を考え合わせると、控訴人渡辺が被控訴人沖田の昭和三十年一月から同年四月までの賃料債務の履行遅滞を理由として、賃貸借契約を解除することは権利の濫用であつて許されないというべきである。」